七五三のお祝いは、古く平安時代から行われていました。当初は髪置、袴着、帯解き(または帯直し)などと言っており、年齢も日も定まっていませんでしたが、江戸時代、五代将軍綱吉がその子徳松の袴着の祝いを10月15日に行った事から日が定まったと言われます。
医術も進んでいない昔は、子供が無事成長するのが簡単なことではなく、周囲の人間は、神様のご加護を真剣に祈り、そして成長を喜んだのです。
お祝いの行事として、碁盤の上に立って「袴着の儀」を行ったり、髪の先を切ったりする「ふかそぎ」を行ったという記録があります。
碁盤は、昔、公家社会では吉報を占う升目として用いられたといわれ、また武家社会では碁盤上での攻防を陣取りととらえ、その上に両足で立つことを「天下を取る」と考えられたということです。